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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和31年(わ)265号 判決

国籍 アメリカ合衆国

住居 米海軍追浜基地内追浜第一空挺隊第十六ヘリコプター部隊第十六海兵隊兵舎

米海軍海兵隊一等兵 アドルフ・ダブリユー・メーテン

ADOLPH.W.MERTON

一九三二年五月一六日生

右の者に対する殺人被告事件につき、当裁判所は検察官大塚利彦出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実と事案の概要

本件公訴事実は

被告人は昭和三十一年十月二日午前四時十五分頃横須賀市追浜本町一丁目十三番地飲食店大和屋こと茨木洋一方において、米国陸軍曹長トーマス・ドウリーと横浜市金沢区六浦町千百五十三番地高和四郎当十九年及び同人の友人四名とが、階下カウンター席附近に円陣をなし、飲酒談笑中なるを目がけ、所携の拳銃五発を乱射し、うち一発を右高和四郎の臀部に命中せしめ、よつて同人を同日午前五時四十四分頃横浜市金沢区六浦町五百六番地所在追浜共済病院において左臀部盲貫銃創による腹腔内出血のため死亡せしめ殺害したものである。

というのであつて、右の事実は本件の各証拠を綜合してこれを認めることができる。

二、犯行に至る具体的事実の経過

しかし、証人関山清太郎及び被告人の各当公判廷における供述、本件公判調書中証人トーマス・ヂエイ・ドウリー、エドワード・ヂヨセス・レデスマ、松本光男、河本成臣、細野朱実、小山ヨリ子、田中歌子、遠藤章、石坂重夫、渡辺奎一の各供述部分、司法警察員関山清太郎作成の実況見分調書、医師藤井安雄作成の鑑定書、鑑定人佐藤倚男、土居健郎共同作成の被告人に対する精神鑑定書の各記載並びに領置にかかるコルト型拳銃一挺(昭和三十一年領支第八十四号の五)弾倉一個(同号の六)実包五個(同号の七)及び拳銃嚢一個(同号の八)等を綜合すれば、被告人は典型的分裂気質に加うるに知能指数が低く、その知的水準は精神薄弱のうち最も軽い魯鈍の上位にあり、社会適応性がなく軍隊生活七年間に四回の軍事裁判と八回の譴責処分を受ける等たびたびの逸脱が見られる者であるが、昭和三十一年十月一日は射撃訓練があり、雨天のため気がくしやくしやしていたところ、午後一時から休暇をとり米海軍追浜基地内の兵舎でウイスキーの角瓶三分の一位を飲み、同日午後四時頃から追浜所在のバーマンボ、追浜ガーデン、コンドルバー、追浜グリル及び再び追浜ガーデン等を翌二日午前零時頃まで飲み歩き、その間の飲酒量は合計VOウイスキー二十杯位、ビール十五本位に及び、相当酩酊して同日午前零時過頃神津末男等四、五人の日本人と追浜本町一丁目十三番地飲食店大和屋に至り、更にビールを飲んでいるうちに、米国陸軍曹長トーマス・ヂエイ・ドウリーと海軍準士官アズボーンが酔つているのを目撃したが、間もなく右日本人達と大和屋を出た時、附近の路上で日本人から「ヤンキーゴーホーム」と云われたので腹を立て、又大和屋に引き返えして、酔つて寝ている右アズボーンに「ベースゴーホーム」と云つて同人を起し、これをタクシーに乗せて前記追浜基地に帰隊させ、その際公務の場合以外は持ち出すことを禁止されている被告人が日常所持する軍用拳銃(昭和三十一年領支第八十四号の五)を持ち出して三たび大和屋に至り、同家二階で飲んでいた前記曹長ドウリーに対し「十二時過ぎまで店にいる者は帰らす」と云つて同人に「帰れ」と迫つたが、同曹長は酒がまわつていたものか被告人の言に耳をかさず帰ろうともしなかつたので、被告人は色をなして同家を出て行き、二、三十分して同日午前四時十五分頃四たび大和屋の表入口にあらわれ、足音荒く二階にかけ上つたがすでに二階には人が居なかつたので、階下に降り表入口から戸外に出ようとした途端、前記曹長ドウリーが階下奥カウンター席前附近において高和四郎等日本人五名に囲まれ、右日本人達と「おおいどうしたいえ」という日本語の歌を唄つているのを目撃し、同曹長が共産党員に取り囲まれており、同曹長の身が事態危急の場合に遭遇しているものと思惟し、同曹長に対し「アイ、ウワツチ、ユウ、ゴー、バツク」と言葉鋭く云い放ち、その直後同曹長並びに右日本人達のいる方向に向け所携の拳銃を五発乱射し、うち一発を高和四郎の臀部に命中させ、同人を同日午前五時四十四分頃横浜市金沢区六浦町五百六番地追浜共済病院で左臀部盲貫銃創による腹腔内出血のため死亡させたことが認められる。

三、犯行当時の被告人の精神状態(心神喪失)

そこで、進んで本件犯行当時の被告人の精神状態について考察するに、前掲各証拠に証人宮川善則の当公判廷における供述、本件公判調書中証人長谷川広子、大槻岩男、根岸弘明、荒瀬昇、神津末男、水口きよ、山下秀子の各供述部分並びに証人佐藤倚男に対する尋問調書の各記載を綜合すれば、おおよそ次のことが認められる。

被告人はその軍隊生活七年間における前示たびたびの逸脱については、その時期、その処罰事件の内容などを殆んど記憶しておらず、ただ「殆んど酒を飲んでいるときだ」と鑑定人に答えており、実際生活上ここ八年来常習飲酒者で毎晩飲酒し、勤務中もかくれて時々飲んでいる、多くウイスキーでそのため七年前から手指のふるえがみられ、アルコールがきれるといらいらして仕事ができなくなる。更に三、四年前から就寝中に敵が入つてきて抑えつけられたと感じてとび起きて寝ている戦友を殴打してしまつたり、また朝鮮の戦闘で斬壕から斬壕への苦しい生活にもどつていたりする悪夢をみるようになり、或は就寝中の夢としてではなく、うつつの間に猿が木にせわしく登つたり、窓に桃色の象がみえたり、自動車位の大きさの蜘蛛がみえたりすることを経験しているが、これらはアルコール性精神病のうち振せんせん妄に当るもので、被告人は三、四年前から犯行までの間この振せんせん妄を経過している。被告人に対する性格テストの結果も精神病的傾向が強く、妄想を作り出す傾向、精神病的傾向があるとされている。従つて、被告人の社会適応失敗は被告人の分裂気質に加うるにアルコール嗜癖によつて誘発されるという形をとつたものとみられている。友人のエドワード・ヂヨセス・レデスマは「被告人とは一九五五年九月から交際しているが、被告人の言動にはおかしいと思うようなところがあり、真面目に話すべきことを馬鹿げた話方をする。いつも真面目さを欠き、幾分変つている」という。また、被告人は幼時から銃、ピストル等の攻撃的武器を好み、鑑定人に対しても銃砲の話などでは被告人の表情はいきいきとなり、口数も多く手振り見振りを混えて昂揚する態度を示している。被告人は本件事件発生前日の十月一日は、その前日及び前々日ヘリコプター誘導のため富士キヤンプに行くことを命ぜられ、日曜日をつぶされて楽しみにしていた酒が飲めなくなつたので不満であつたが、同日午後休暇を貰つて飲み始め、追浜ガーデンに二回目に行つたときなどは、いつもになく酔つて、ふだんはマダムの水口きよ、女給の山下秀子としか口を聞かないのに、この日は愉快そうに冗談を云い、神津末男を肩車に乗せて二、三十米の間道路上を歩いたり、神津末男、荒瀬昇等に自分の胸から射撃章を取つてくれたりして、大和屋に行つた翌二日午前零時頃まではほぼ上機嫌の酩酊であつた。しかし、大和屋の二階で曹長ドウリーとアズボーンが酔つているのを見て後、大和屋を出て附近の路上で日本人から「ヤンキー、ゴー、ホーム」と云われて腹を立ててから再び大和屋の二階に上つたときには、酔つて寝ているアズボーンをわざわざ起して自分は上着を脱いでアンダーシヤツ一枚になつて同人をかつぎ下してタクシーを呼び、兵舎まで送りとどけたが、その時あたりから被告人の言動は異常を示してきている。すなわち、被告人は兵舎において深夜にもかかわらず着衣をととのえて同日午前二時頃追浜米軍基地の第二通門用で立哨勤務中のレデスマのところに行き、同人に対し「町の方でごたごたが起きている、人種的な問題がある」というようなことを云い、「四十五口径の拳銃の弾丸をくれ」などといい、更らに同日午前二時半頃に三たび大和屋にあらわれてマダムの小山ヨリ子に「自分はCIDであるがドルを換えてくれ」と云つたり、曹長ドウリーに対し「十二時過ぎまで店にいる者は帰らす」と恰も自分がCIDであるような口吻や態度を示す状態に陥つており、大和屋階下のカウンター席前の電話を使用してベースに電話をかけて「アツプストアにサージヤンがいる」というようなことをものものしく云つていたので、小山ヨリ子は非常に不安を感じ、喧嘩でもあつたのか、または喧嘩でも起りそうな予感を抱き、二階の客を階下に下して二階の店を閉めさせた位である。被告人はその後大和屋を出て約三十米離れた北原製パン所の前路上で、根岸弘明、宮川善則、加藤聖三に対し、突然加藤の首を押し「シヤラツプ」と云つて、次に拳銃を胸に構え三人に向けて同人等を驚ろかしている。そして四たび大和屋に引き返えして、一旦二階にかけ上り、降りて来て、階下カウンター席前で曹長ドウリーが高和四郎等の日本人と円陣をなして歌を唱つているのに気付き、同曹長に対し「アイ、ウワツチ、ユー、ゴーバツク」と言葉鋭く云い放つたが、その態度にはただごとでないものがあると小山ヨリ子は感じたので、同人は板前の大槻岩男にすぐ交番に電話をかけるように命じ、被告人が拳銃を出して構えたのを見て、いたずらにしてはひど過ぎると思つたので主人に連絡しようと立ち上つた直後被告人は拳銃を発射した。被告人は間もなく逮捕されて追浜交番に連行されたが、拳銃発射の動機目的について、MPと曹長ドウリーに対しては「二人をうつつもりだつた」と述べ、同曹長の「なぜ俺の方に向つて拳銃をうつたか」との問に対しては「お前をうつつもりではない、共産党がいたからそれをうつつもりだつた」と答え、司法警察員関山清太郎の取調に対しては「大和屋から外に出たとき日本人から『ヤンキーゴーホーム』と云われたので腹がたちその日本人をおどかしてやろうと思つて拳銃を持ち出した」と云つていて、そのいずれが真実であるか判然しない。

被告人は二回に亘り朝鮮における軍務に就き、同地において共産党が罪のない子女を殺したことなどを目撃して、共産党に対し非常にはげしい敵対感情を持ち、これを憎んでいたものであり、本件犯行当時の被告人の精神状態は、前記精神鑑定書に「数時間に亘る大量の時続的飲酒によつて軽い意識障害を伴える躁状態ともいうべき異常酩酊をへて、事件発生数時間前から病的酩酊状態にあつた。而してアルコール幻覚症及び被告人がたびたびおそわれる振せんせん妄にかなり類似しており、意識障害を除くならば精神分裂症の妄想形式、これによる行動と同程度にみるべき病的精神状態にあつた。本件事件発生当時には意思に従つて行動する能力はおおよそ保たれてはいたが、現実に対する正当な判断力は失われていたと推定すべきである。」とあるところからこれを推考すれば、被告人は本件犯行当時、病的酩酊状態にあつて、そのような事実がないのにかかわらず、曹長ドウリーが共産党員に取り囲まれて危急の状態に遭遇しているからこれを救わねばならぬと妄想して、拳銃を発射したものと推認され、被告人は当時刑法上いわゆる心神喪失の状態にあつたものと認めざるを得ない。

四、結論

従つて、本件公訴事実は、刑法第三十九条第一項により罪とならないものといわねばならない。

よつて刑事訴訟法第三百三十六条前段に則り、被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判長裁判官 上泉実 裁判官 安藤覚 裁判官 石渡満子)

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